ビジネスロー・ダイアリー

中年弁護士の独り言兼備忘録

ソーシャルメディアから考える参院選⑤

NHK党については、ちょっと凄すぎて表現が難しい。まずは今回の選挙についていうと、ガーシーこと東谷義谷氏がNHK党から出馬して当選したが、東谷氏は約28万票を獲得しており、これは参政党の神谷氏の15万票を大きく上回る。東谷氏のメインの視聴者が40代・50代の男性のようだが、視聴者層と投票者層が一致しており、これだけの票を東谷氏は持っていたのだろう。NHK党は本当にこれを(言葉は悪いが)うまく利用した。東谷氏が海外在住にもかかわらず国会議員の仕事をすることができるのか、不逮捕特権との関係はどうなるのかと付随論点はあるが、この点は本エントリーの目的から外れるため割愛したい。

さて、当初誰もがNHK党を際物扱いをしていたと思うが、党首の立花氏の話を聞いているとその戦略には舌を巻く。彼は、当初はNHKを批判するために結党したのかもしれないが、今の話を聞いていると、それよりも選挙をハックすることに力を入れているように思う。立花氏の話によると、選挙で「金儲け」(あえてこのようなワードを使っているが、要するに資金集めのことだろう)しているとのことである。氏の話によると、選挙で金を使うからスポンサーに頼る、スポンサーに頼るからそのスポンサーに批判的な態度がとれない、これが問題である。スポンサーに頼らない選挙ができれば、誰にも忖度することなく政治をすることができる。…まったくもってそのとおりの主張だ。そのためにNHK党はできる限りのことを尽くす。例えば、選挙活動のために必要な資金を公費で負担する制度である公費負担制度を利用する。例えば、①知り合いの会社に20万円で選挙ポスターを発注する、②その会社はNHK党と40万円でポスター発注を受注したとして選挙管理員会に届け出る、③選挙管理員会は40万円をその会社に支払う、④うち20万円はその会社が得るが、残りの20万円はNHK党が得る。また、NHK党は国政政党となっているので、1票当たり一定の金額(数百円)の政党交付金が支給される。これに目を付け、当選しなくてもよいので多数の候補者を出馬させ、多額の政党交付金を獲得しているようだ。その結果、NHK党とその候補者は落選したとしても、供託金以上の支払いを受けられることになる。

これを民主主義の堕落だといって、批判することは簡単だ。しかし、長年選挙は既存有力政党か、資本家か、変わり者のものだった。しかし、NHK党の戦略にのればいわゆる普通の人でも出馬することができることになる(最初に供託金のみを支払えば、落選してもそれ以上の金額が返ってくる)。ある意味、選挙の「民主主義」化だ。しかも、選挙だけで党が自立的に存続できる仕組みを作っていて、党の存続が危ぶまれるリスクが低い。これに加えて、現在の主義主張は「NHKをぶっこわす」だけなので、ある意味、多様な思想を持つ候補者の受け皿となりうる。立花氏は、当初は際物・色物で耳目を集め、NHK党の認知を広げる、それにつれ、まともな候補者が集まるようになり、党が本格的に大きくなると語っていた。そうなると、立花氏は当初からこれを構想していたことになる。あと数年して、NHK党の名前も改名し、いわゆるまともな人(堀江貴文氏のような支持者が多いインフルエンサーがその候補になる可能性があるだろう)が候補者となり始めたとき、自民党に対抗する大きな勢力になる可能性は十分に秘めていると思う。今後のNHK党の成長と発展を興味深く見ていきたい。

さて、ソーシャルメディアから考える参院選というお題目で考え始めたが、だんだん横道にそれていった気もする。しかし、いずれにせよ、ソーシャルメディアの影響は選挙を重ねるたびに強まっていくだろう。もっとも、選挙期間中のソーシャルメディア運用だけでは足りないのはごぼうの党の例からも明らかだろう。そうなると、選挙期間以外のソーシャルメディアが重要になってくるが、これではポピュリズムではないかという批判があるはずだ。しかし、一部のスポンサーを支持基盤とする政治家よりも、多くの人間を支持基盤とする政治家の方がバランスのとれた政策(ある意味国民よりの政策)をとるかもしれない。多くのインフルエンサーがソーシャルグッドを意識しているように、政治家もよりソーシャルグッドに精を出すかもしれない。もちろん政治家としては権謀術数を駆使して、国の舵取りをする必要があるため、ソーシャルグッドだけでは不十分だが、少なくとも一部のスポンサーの機嫌取りだけをしている政治家よりはましなような気もしてくる。ソーシャルメディアが選挙にいい影響をもたらすように、ソーシャルメディアとソーシャルメディアの利用者・視聴者の進歩を願ってやまない。(なお、より公正公平な選挙を実現するためにはソーシャルメディア側がアルゴリズムを開示することが不可欠だろう。しかし、一企業に対して国からそこまで求めるのか検討の余地がある。)