ビジネスロー・ダイアリー

中年弁護士の独り言兼備忘録

「決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月」の雑感⑤

こちらの本の話の感想

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最後にコーポレートガバナンスについても少しだけ。LIXILグループでは、少数株主であるが創業家の一人である潮田氏の影響力が強く、コーポレートガバナンスが機能していなかった。これは大きな問題であろう。上場している以上、会社は社会の公器であり、株主の利益代表である取締役の監視の下、緊張感のある経営を行う必要がある。ここまでは誰も異論をはさまないところであろう。

しかし、従業員の利益を代表するような人物も送り込むことが必要なのではないかと最近ぼんやりと考えている。すなわち、上記の議論の出発点として、会社は株主の物という前提があるが、果たして本当に会社は株主だけの物なのだろうか。戦後、会社は終身雇用の下、社会における(数少ない)共同体として機能していたとは言えるのではないか。会社という社会の中で、独特のルールと人間関係があり、平日のほとんどの時間を、20歳頃から60歳頃まで過ごす。このあり様はまさしく共同体ではないだろうか。また、自助・共助・公序の中で、会社は共助の役割を担っていた(手厚い福利厚生、退職金、企業年金)という側面もあったともいえるだろう。この側面を強調すれば、会社は株主のものだけでなく、従業員のものでもあり、従業員の利益代表を取締役会に送り込むことも正当化されないだろうか。そうすれば、株主・資本家の意思だけでなく、従業員の意思も反映した、バランスのよい経営が実現できるようにも思う。本件においても、従業員の利益代表が選ばれていたら、潮田氏の辞任後の会社と瀬戸氏の対立はなかったかもしれない(瀬戸氏が潮田氏の解任を求めて臨時株主総会招集請求をすると、潮田氏は取締役CEOを辞任した。しかし、その後も、会社の上層部は瀬戸氏の復帰を快く思っていなかったのか、別の候補者を立て瀬戸氏と対立した。本書によると、従業員の多くは瀬戸氏を応援していたと考えられるため、従業員の利益代表が取締役会に送り込まれていれば、上記の会社と瀬戸氏の対立はなかったかもしれない。)。会社は誰のものかという議論については株主のものということで日本でも決着がついた感があるが、会社の持つ共同体的・共助的性格は今なお忘れてはいけないと思う。それをどのように実現するかは様々な手段が考えられるが(上記のような従業員の利益代表を取締役会に送り込むといのはあまりにラディカルであろう)、このような視線も持って適切なコーポレートガバナンスを考えていきたい。