ビジネスロー・ダイアリー

中年弁護士の独り言兼備忘録

未知の世界の第一歩 - クロスボーダーM&Aの契約実務の雑感

今日は本の感想をつらつらと書いていきたい。今日の本の著者が所属する東京国際法律事務所(TKI)は各種法律雑誌に取り上げられており、実際に各社が行っている統計やランキングでも顔を出している。私の四大の友人にも、同事務所への転籍を考えている者もいるらしいとのことだった。そんなこんなで興味を持っていたところ、たまたまアウトバウンド案件に私自身が関わることがあったので、この本を読んでみた。

M&Aの契約に関連する本を多数出ており、この業界のバイブルとされている長島大野常松法律事務所(NOT)の「M&Aの契約実務」、また森・濱田松本法律事務所(MHM)の「M&A契約――モデル条項と解説」あたりが有名であるが、これらの書籍は基本的には国内のM&Aを想定して作成されたものである。本書の一番の特徴は、その名のとおり、クロスボーダーのM&A取引を想定して作成しているところであろう。

私は恥ずかしながらほぼ初めての本格的なクロスボーダーM&Aであり、びくびくしていたのであるが、本書を読み、クロスボーダーM&Aでも国内M&Aでも基本的な考え方は通底していることをよく理解できた。「国際的な業務をしたいのであれば、まずは国内業務で地力をつけるべし」と十数年前に言われた言葉は実に的を得ていたのであろう。さはさりながら、これを英語の契約書でやり取りし、英語で交渉するとなると、そこには大きなハードルがあることが容易に想像がつく。日本語でこのサービスを提供して、かつフィーも外資系法律事務所よりも安いのであれば、それは日本企業はTKIを使いたいだろうな、と思う。

上記のNOTとMHMの契約実務本との違いでいうと、表明保証保険の説明について最新の実務も踏まえ丁寧に解説しているところだろう。国内のディールでも、特にファンドが関係するディールでは、表明保証保険を利用することが増えているとはいえ、実務に根付いているかと言えば、そうではないのが実情であろう。そのため、この点について実務的な説明がなされている本は少なかった。しかし、クロスボーダーディールでは表明保証保険が根付いており、経験豊富なTKIだからこそ書くことができた内容となっている。私は実務で表明保証保険を使ったことがまだないが、表明保証保険で何をカバーできて、何をカバーできないか、よく理解することができた。

表明保証保険はその言葉の響きから、表明保証で「カバーしていない点」をカバーするようなイメージを持っていたが、そのイメージは間違っていた。表明保証保険は、基本的には表明保証違反が生じたときの補償義務に関する売主の無資力のリスクをカバーするものであるので、売主が表明保証をしていない点を保険会社が別途カバーする訳ではない。あくまで表明保証で「カバーしている点」に問題があったときに、売主ではなく、保証会社が一定の限度で支払いを担保するものなのである。さらに、表明保証保険のカバー範囲は表明保証のカバー範囲よりも狭くなることがあるようなので(例えば、環境に関する表明保証は通常カバーされないらしい)、このことからしても「表明保証があるから安心」とは言いづらいもののようだ。表明保証保険という言葉から直感的に連想されるイメージと実際の表明保証保険の内容は異なっているので、依頼者に説明するときは丁寧な説明が必要となるだろう。

さらに、表明保証保険とエスクローが両方用いられる場合における両者の使い分けについても本書では触れられており、私はこのような知見はなかったため、大変参考になった。

M&Aの契約実務を踏まえて表明保証保険を説明した文献はまだまだ少ないため、この点だけでも本書を購入する十分な理由になろう。

TKIは東京発のグローバルファームという理念を掲げており、これまでの日系法律事務所が開拓してこなかった分野を開拓しようとしている。この分野はそのネットワークの強さから外資系法律事務所が牛耳っていた。ネットワークの観点からいうとTKIは劣勢と言わざるを得ないが、クオリティや価格の面で十分勝負していけると踏んでいるのだろう。TKIの今後の動きに要注目である。

なお、このエントリーで紹介したNOTの「M&Aの契約実務」はこちら。これは業界ではバイブルと言われている本で、発行当初は多くの事務所がこの本を熟読して、真似したという嘘か誠か分からない話を聞いたことがある。

森・濱田松本法律事務所の「M&A契約――モデル条項と解説」はこちら。こちらもこの業界人必携の書。NOTの書籍に次ぐ定評のあるM&A実務本で、近年発行されたこともあり、NOTの本にはない論点も載っている。